フットサル豆知識
【第1回】 ブラジルフットサルの起源
   ブラジルのフットサルやフットサル選手に興味がある人でも、その歴史について知らない人は意外に多いのでは?それでは、ここで簡単にブラジルのフットサルの起源について触れてみよう。
 
 ブラジルのフットサルは一般的に、サンパウロにあるキリスト教青年協会の若者の間で1940年頃に流行り出したと言われている。まだ空気を入れるゴムボールなど無かったこの時代、彼らはおがくずやコルクなどが詰った球を蹴って「ペラーダ」をしていた。ペラーダとは、グランドで行うサッカーではなく道端や公園でやるお遊び的なサッカーのことで、広い運動場が近くになかったことから当時の若者の遊びの舞台は、公園にあるバスケットやホッケー用のコートだった。特にホッケー用のゴールは、後にフットサルとなるこの遊びに最適の道具だったのだ。

 最初の頃、フットサルは今のようにきっちりと“5対5”には分かれてはおらず、あるときは“7対7”、またあるときは“6対6”と、その都度人数が異なっていた。旧式の球が消え、エアーボールが使われるようになってからも、通常の大きさのサッカーボールはバウンドが強く、すぐにコートの外に出てしまうという問題があった。このことからフットサルのボールは、時と共に狭いコートに合わせて小さく、そして重いものに姿を変えていった。

 やがてフットサルはサンパウロを飛び出し、他の地域でも人気を集め出した。同時にルールらしきものも定められるようになった。大都市を中心に選手の数が増えたことで次々とチームが設立され、大会も開かれた。1950年代に入り、メトロポリターナ・フットサル連盟(1954年7月28日設立)を始めとするフットサル連盟が各州で発足。現在、メトロポリターナ・フットサル連盟はリオデジャネイロ州フットサル連盟と名前を変えてアメリカ・フッテボールクラブに本部を置き活動している。

 1955年、リオデジャネイロ州フットサル連盟が記念すべきフットサルの第1回大会「トルネイオ・デ・アプレゼンタソン」をリオデジャネイロ市で開催。大会には42チームが参加した。1956年には後にブラジルフットサル連盟本部となるセアラ州フットサル連盟が同州で初となるフットサルの大会を開いた。しばらくの間リオデジャネイロとサンパウロではルールが二つに分かれていたが、1959年にブラジルスポーツ連盟がこれを統一した。その後、ブラジルスポーツ連盟は各州のフットサル連盟を加盟し、国内および国際大会などの促進に努めている。

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