ブラジル名プレーヤー事典
ヴァウジン
| 名前 | : | ジョアン・バチスタ・ド・ナシメント・カルバーリョ |
| ポジション | : | アラ |
| 身長 | : | 169センチ |
| 体重 | : | 60キロ |
| 生年月日 | : | 1979年6月23日 |
| 出身地 | : | セアラ州フォルタレーザ |
知られざるヴァウジンの軌跡
いつからかブラジル代表でも欠かせない存在となったヴァウジン。たとえ彼のプレーを何度もTVやビデオで見たことがあるという人がいたとしても、現在に至るまでの彼の苦労を知る人はそういないだろう。 一見順風満帆に生きてきたように思えるブラジルのスター選手も実はチャンスを得られず右往左往していた時期を通過してきている。ここではヴァウジンの成功までの道のりを一挙紹介する。
ヴァウジンはセアラ州フォルタレーザ市のジャルジン・ビオレッタ地区に生まれ、この場所で育った。16歳になった彼は他のブラジル人の少年同様毎日ように兄弟、それに友人たちと夢中でボールを追いかけていた。プロへの第一歩を踏み出したのは地元の草サッカーチーム、ビオレッタ・エスポルチ・クルビでだった。
ヴァウジンの家庭は決して裕福とはいえなかった。しかし両親は経済的困難を抱えながらも子供たちの教育はしっかりやることをポリシーとしていた。そのことが今の彼の人間性を形成するのに役立ったのはいうまでもない。 サッカーを始めてからヴァウジンはフォルタレーザやセアラー・エ・フェホビアリオなどのセレクションを受けたがいずれも合格することはなかった。フォルタレーザでもセアラー・エ・フェホビアリオでも、パスを回してくれないなどの嫌がらせがあったのも事実だ。しかしそういったことも乗り越えなければ険しい道は開けてこないのが現実でもある。
ヴァウジンは何度不合格になっても将来サッカー選手になるんだということを疑わなかった。 どこのチームからも声がかからなかったヴァウジンはやがて兄弟たちと話し合って、友達の協力も得ながらフットサルチーム、アーセナル・エスポルチ・クルビを結成する。それを機に彼はたくさんの地区大会に出場するようになった。するとそのうちセアラ州の強豪スモブCEから声がかかった。1998年のことである。同年にセアラ州選手権に出場を果たした彼だが、そのままフットサルの道に行くのかと思いきや同年サッカーチーム、サンパウロFCからセレクションを受けてみないかとの誘いを受け、再びサッカーに挑戦することになった。やはりどうしてもサッカー選手になりたいという夢が捨てられなかったのだ。しかしセレクションでは再び落選、契約にはこぎつけなかった。
大きなチャンスを逃し、心に傷を負ったのかヴァウジンはその後一度故郷ファルタレーザに帰っている。それもサッカーをするためではなく仕事をするためにだ。最初に彼が就いた仕事はビスケット工場の工員だった。 (後編へ続く)