
レコ
以下はレコのインタビュー
Q: フットサルを始めたきっかけは?
レコ: 出身は(サンタカタリーナ州)シャペコ市で、当時よく遊んでいた7、8人の友達がいたんです。彼らも僕もサッカーをするのが大好きで、自宅の敷地を使って遊んでいました。最初そこには芝があったんですが、後から土だけになったんですけどね。それから市の大会に出ようということになってチームを作ったんです。才能ある選手が多くて、最初の大会でいきなり優勝しました。チームの名前はテホン・エスポルチ・クルビ(TEC)でした。
Q: そのチームにまつわることで何か面白い話はありますか?
レコ: たくさんあるけど、ひとつちょっと語るには恥ずかしいエピソードがあるんです。特別にここではその話をしましょう。ある大会での出来事なのですが、大会というのは普通、日曜日とかに試合があって朝の7時30分ぐらいから第1試合が始まって、決勝が夕方6時くらいに行われるんです。その日は午前中に3試合して何試合か負けたので敗退が決まっていました。だけど最後にもう1試合消化試合が残されていたんです。僕らのチームの監督は僕の伯父であるジェルソンさんだったのですが、その日彼は約束があるといって先に帰ったんです。すると最後の試合の相手チームの監督が僕らのところに来て「いくら払えばわざと負けてくれるかね?」と言ったんです。そのチームはまだ準決勝進出の可能性を握っていたんです。僕たちは彼に言ってやりましたよ。「TECは試合を売ったりはしないんだ」ってね。それからそのチームと試合をしたんです。汚いオファーを出してきた相手に対して僕たちは最初怒り浸透でした。しかしよく考えたら、次の週にもっと大切な大会が控えていたんです。その大会に出るためには参加費が50レアルと高くて、僕の母は『払えるかどうかわからない』って言っていました。そこで意味のない試合で勝つより、次の大会に出るほうが重要ではないのかと考えて、相手の監督に次の大会の参加費を出してくれないかと話に行ったんです。そしたら彼はその場で承諾してくれました。その試合は本当にふざけた試合になりました。相手チームの実力は本当にひどくて、全然点が取れないんです。そのうえ僕がハーフウェイラインぐらいからシュートを蹴ったら、それが入っちゃったんです。結局試合は2対1で向こうが勝ったんですけどね。
Q: フットサルとの出会いは?
レコ: 僕の兄弟がクルビ・ヘクレアチーボ・シャペコエンセ(CRC)というフットサルチームに所属していたのですが、ある日彼が『明日CRCがセレクションをやるんだ』と教えてくれました。僕は友達みんなに電話をかけて、みんなでセレクションに行ったんです。レアンドロ、ドニ、ジェフェル、ジュ、そして僕の5人が受かりました。そして、それから本格的にフットサルを始めるようになりました。
Q: ユース時代にどれだけのタイトルを獲得しましたか?
レコ:
タイトルよりもユース年代には多くの知識を学びました。タイトルはマウウィーの一員として2001年の州選手権ジュベニールで優勝したのと、シャペコの一員として1998年に州選手権モレーキ・ボン・ジ・ボーラ大会で優勝しただけですね。タッサ・ブラジル・ジュベニールの決勝は負けたのですが、試合の翌日マノエル・トビアスが「心配するな。俺はジュベニールのときにはタイトルなんてひとつも獲得していないんだ。負けから覚えることの方が多いし、たまたま負ける日だっただけだよ」と励ましてくれたのを覚えています。