フットサルワールドカップとブラジル代表の軌跡
第1回 FIFUSA 世界選手権とブラジル代表 (1982年、ブラジル)
記念すべき第1回世界選手権は1982年(5月30日~6月6日)にサンパウロで行われた。といってもこれはFIFAが主催したものではなくFIFUSA(Federação Internacional de Futebol de Salão=国際サロンフットボール連盟)主導によるもの。しかし、フットサルイベントにおいて初めて3大陸の代表チームが一堂に会した大会であり、世界に向けた大きな宣伝材料となった。
この第1回大会ではシロ会長率いるFPFS(サンパウロ州フットサル連盟)が全面的に運営協力した。プロモーションおよび広報は通信企業コムニカソエス・ニコリーネが手がけた。周囲のこういった協力もあってか決勝のブラジル対パラグアイ(ブラジルが1-0で勝利)ではサンパウロ市のイビラプエラ体育館が満員になるほどの大盛り上がりを見せた。そして、この試合のもようがグローボ(南米最大のTV局)で放映されるなどブラジルフットサル界においては革命的な出来事となった。
大会前、ジュリオ・セザール・ビエライア監督の下、ブラジル代表はCBFS(ブラジルフットサル連盟)のあるセアラ州フォルタレーザで合宿を張り、優勝を目指して1日8時間のハードなトレーニングを敢行したと伝えられている。15日間の合宿で選手たちは技術、戦術、フィジカルの全てに磨きをかけ、本大会で見事優勝したのだ。
これがブラジル代表の輝かしい歴史のスタートである。
この第1回大会ではシロ会長率いるFPFS(サンパウロ州フットサル連盟)が全面的に運営協力した。プロモーションおよび広報は通信企業コムニカソエス・ニコリーネが手がけた。周囲のこういった協力もあってか決勝のブラジル対パラグアイ(ブラジルが1-0で勝利)ではサンパウロ市のイビラプエラ体育館が満員になるほどの大盛り上がりを見せた。そして、この試合のもようがグローボ(南米最大のTV局)で放映されるなどブラジルフットサル界においては革命的な出来事となった。
大会前、ジュリオ・セザール・ビエライア監督の下、ブラジル代表はCBFS(ブラジルフットサル連盟)のあるセアラ州フォルタレーザで合宿を張り、優勝を目指して1日8時間のハードなトレーニングを敢行したと伝えられている。15日間の合宿で選手たちは技術、戦術、フィジカルの全てに磨きをかけ、本大会で見事優勝したのだ。
これがブラジル代表の輝かしい歴史のスタートである。
第2回 FIFUSA 世界選手権とブラジル代表(1985年、スペイン)
FIFUSA(国際サロンフットボール連盟)は1985年、スペインのFEFSとの協力の下、第2回世界選手権をスペインで開催した。このときの出場国は12カ国。多くの観客が会場に駆けつけ、大会は大成功を収めた。決勝のブラジル対スペイン戦はマドリードで行われ、TVE局が試合のもようを放映した。
ちなみに、第2回大会でも優勝したのはブラジル。カナリア軍団は地元スペインを3対1で撃破したのだ。当時のメンバーはベト、バラータ、パンサ、バウミール、マウロ、ハウル、パウロ・ヌネス、パウロ・エドゥアルド、ムフーガ、ジャクソン、カルロス・アルベルト、ダグラスといった顔ぶれ。監督は前大会でも指揮を執ったジュリオ・セザール・ビエイラだった。
同大会では主催者側から許可を受けたスペイン製のボールが使われるはずだったが、このボールが弾みすぎたためブラジルはペナルティーのボールを60個ほど主催者に提供、ペナルティーのブランド名を白いインクで消して大会中に使用したという逸話がある。
ちなみに、第2回大会でも優勝したのはブラジル。カナリア軍団は地元スペインを3対1で撃破したのだ。当時のメンバーはベト、バラータ、パンサ、バウミール、マウロ、ハウル、パウロ・ヌネス、パウロ・エドゥアルド、ムフーガ、ジャクソン、カルロス・アルベルト、ダグラスといった顔ぶれ。監督は前大会でも指揮を執ったジュリオ・セザール・ビエイラだった。
同大会では主催者側から許可を受けたスペイン製のボールが使われるはずだったが、このボールが弾みすぎたためブラジルはペナルティーのボールを60個ほど主催者に提供、ペナルティーのブランド名を白いインクで消して大会中に使用したという逸話がある。
第3回 FIFUSA 世界選手権とブラジル代表(1988年、オーストラリア)
1988年にオーストラリアのメルボルンで開かれた第3回世界選手権はFIFUSA(国際サロンフットボール連盟)主催の最後の大会となった。
ブラジルはチェコスロバキア、日本、アメリカと同じD組にエントリーし、予選ファースラウンドの3試合だけで合計52ゴールをマーク、失点をわずか2ゴールに抑えた。予選セカンドラウンドではアルゼンチン、オーストラリアを楽々撃破。パラグアイにも2対1で勝利した。
そして 準決勝で強豪ポルトガルを5対1で下したブラジルは決勝で再びパラグアイと対戦。このままブラジルが余裕の3連覇を果たすかと思われたが、蓋を開けてみると一度勝った相手に大苦戦。結局この試合を2対1で落とし、準優勝に終わった。
もしこの大会でも優勝していたらFIFUSA主催の世界選手権をブラジルが完全制覇していたことになる。それを阻止したパラグアイはさすがだ。ちなみにパラグアイは1982年のブラジル大会で2位、1985年のスペイン大会で3位になるなどFIFUSA主催の3大会で金、銀、銅の全てを獲得している。
当時のブラジル代表はセルジーニョ、フェルナンド・ポンテス、ハウル、ジェラルド、パウロ・エドゥアルド、カルロス・アルベルト、マウロ、オーティス、グラウジオ・デ・カストロ、ヴァウデス、そして後にブラジル代表監督となるヴァンデル・イアコビーノといった面子が揃い、監督は第1回、2回大会に続きジュリオ・セザール・ビエイラだった。大会得点王にはオーティスが輝いている。
ブラジルはチェコスロバキア、日本、アメリカと同じD組にエントリーし、予選ファースラウンドの3試合だけで合計52ゴールをマーク、失点をわずか2ゴールに抑えた。予選セカンドラウンドではアルゼンチン、オーストラリアを楽々撃破。パラグアイにも2対1で勝利した。
そして 準決勝で強豪ポルトガルを5対1で下したブラジルは決勝で再びパラグアイと対戦。このままブラジルが余裕の3連覇を果たすかと思われたが、蓋を開けてみると一度勝った相手に大苦戦。結局この試合を2対1で落とし、準優勝に終わった。
もしこの大会でも優勝していたらFIFUSA主催の世界選手権をブラジルが完全制覇していたことになる。それを阻止したパラグアイはさすがだ。ちなみにパラグアイは1982年のブラジル大会で2位、1985年のスペイン大会で3位になるなどFIFUSA主催の3大会で金、銀、銅の全てを獲得している。
当時のブラジル代表はセルジーニョ、フェルナンド・ポンテス、ハウル、ジェラルド、パウロ・エドゥアルド、カルロス・アルベルト、マウロ、オーティス、グラウジオ・デ・カストロ、ヴァウデス、そして後にブラジル代表監督となるヴァンデル・イアコビーノといった面子が揃い、監督は第1回、2回大会に続きジュリオ・セザール・ビエイラだった。大会得点王にはオーティスが輝いている。
第1回 FIFA フットサル世界選手権とブラジル代表(1989年、オランダ)
| 出場チームと成績 | |
| 1位 2位 3位 4位 |
ブラジル オランダ アメリカ ベルギー |
| ベ ス ト 8 |
ハンガリー イタリア パラグアイ アルゼンチン |
| 1 次 ラ ウ ン ド 敗 退 |
デンマーク アルジェリア スペイン サウジアラビア カナダ 日本 オーストラリア ジンバブエ |
出場チームは16カ国。アメリカ大陸からはブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、アメリカ、カナダが、欧州からはイタリア、ベルギー、ハンガリー、オランダ、スペイン、デンマークが、アジアからは日本とサウジアラビアが参戦した。そのほかアフリカからアルジェリアとジンバブエが、オセアニアからオーストラリアが参加した。
同大会でブラジルはブラデスコとブラジリア・ヨットクラブの2チームの選手を基にチームを構成し、ジルセウ、ベントゥーラ、ジルソン、マルコス・シンプソン、ベナッチ、アチラ、ハウル・セルケイラ、トカ、カルロス・アルベルト、ネイマール、セルジオ、コエーリョ、アジリオ、カジーニョを招集した。監督はリオデジャネイロのクラブを渡り歩いたジェルソン・ダ・ホシャ・トゥリストン。
同大会でも優勝したのはブラジル。しかしこのときばかりは実力だけで勝ったとはとても言いがたい。というのもブラジルは予選ファーストラウンドの初戦(対ハンガリー)をいきなり3対2で落としてしまう。第2戦、第3戦を連勝したことでなんとか予選セカンドラウンドに進出したが、そこでも最終戦でアメリカ相手に5対3で敗れてしまう。それでも2勝1敗でなんとか準々決勝に駒を進めた。準決勝の相手はベルギーだった。ブラジルは欧州の強豪相手に苦戦を強いられた。結果は3対3の同点。試合はPK戦に突入した。しかしここでも運を味方に付けて勝利。決勝ではオランダとの接戦を2対1で制した。
当時のブラジル代表メンバーの中で一人珍しい選手がいる。アジリオだ。彼は1981年のトヨタカップにフラメンゴの選手として出場しており見事優勝。サッカーとフットサルの両方で世界の頂点を極めた稀な選手なのである。
第2回 FIFA フットサル世界選手権とブラジル代表(1992年、香港)
| 出場チームと成績 | |
| 1位 2位 3位 4位 |
ブラジル アメリカ スペイン イラン |
| ベ ス ト 8 |
オランダ アルゼンチン ベルギー ポーランド |
| 1 次 ラ ウ ン ド 敗 退 |
香港 ナイジェリア イタリア パラグアイ オーストラリア コスタリカ ロシア 中国 |
同大会には合計で16カ国の代表が各予選を勝ち抜いて集結。欧州と南米以外にも北米とアジアのチームが準決勝に進出するなどの波乱もあり、中でも最大のサプライズはイランが4位になったことだ。
ブラジルはオーストラリア、ベルギー、コスタリカと同じC組で予選ファーストラウンドを戦い、3勝0敗で予選セカンドラウンドへ進出。予選セカンドラウンドではアルゼンチンとオランダを下し、2勝1分けの成績を残した。このとき引き分けた相手はアメリカだった。準決勝はブラジル対スペイン、イラン対アメリカという豪華なカードとなり、ブラジルはスペインを4対1で下し決勝へ。反対側のカードはアメリカがイランを4対2で退け、ファイナリストとなった。決勝戦でブラジルは一度引き分けたアメリカから4点を奪う攻撃力を見せ、相手を圧倒。最後まで失点を1に抑えて優勝を決めた。
これでブラジルはFIFA主催の世界選手権2大会連続優勝、FIFUSAの世界選手権を含めると4度目の王者となった。なお、同大会ではジョルジーニョが最優秀選手に選ばれている。また、このときの代表にはマノエル・トビアスやヴァンデル・イアコビーノなどその後のフットサルの歴史に名前を刻む選手もいた。
第3回 FIFA フットサル世界選手権とブラジル代表(1996年、スペイン)
| 出場チームと成績 | |
| 1位 2位 3位 4位 |
ブラジル スペイン ロシア ウクライナ |
| ベ ス ト 8 |
イタリア ベルギー ウルグアイ オランダ |
| 1 次 ラ ウ ン ド 敗 退 |
エジプト オーストラリア アルゼンチン 中国 アメリカ マレーシア イラン キューバ |
フットサルが盛んな国だけに大会は予想通りの大成功を収め、合計すると6万6000人強の観客を動員した。開催都市に選ばれたのはスペインリーグの強豪チームがひしめくムルシア、セゴビア、カステジョン、バルセロナ。参加したのは世界16カ国の代表チームだった(ブラジル、スペイン、ロシア、ウクライナ、イタリア、ウルグアイ、オランダ、ベルギー、アルゼンチン、アメリカ、イラン、エジプト、中国、マレーシア、オーストラリア、キューバ)。
ブラジルはイラン、キューバ、ベルギーと同じD組にエントリーし、予選ファーストラウンドを無敗で突破。セカンドラウンドではウクライナにこそ引き分けたものの、ウルグアイ、オランダを退け、2勝1分けで準決勝に駒を進めた。準決勝はブラジル対ロシア、スペイン対ウクライナという組合せになった。
ところで今大会で一番のダークホースだったのがこのウクライナ。予選ファーストラウンドではスペインにこそ敗れはしたが、エジプトとオーストラリアを大差で破り、セカンドラウンドではすでに述べたとおりブラジルと引き分け、そのうえ強豪オランダともドロー、そしてウルグアイにまで勝っている。
準決勝はしかしブラジル、スペインの2大チームがそれぞれ順当勝ちを収めた。ブラジルは決勝でもスペインを6対4で降し優勝候補の名に相応しい仕事をこなした。しかしこのときからすでにスペインの手ごわさを痛感していたに違いなかった。完璧にして無敵だと思われたブラジルの最強神話が崩壊していったのも同大会後のことだった。
ちなみに今大会で世界最優秀選手に選ばれたのは2007年に現役を引退したマノエル・トビアス。彼は14ゴールを挙げ、大会得点王にも輝いている。
第4回 FIFA フットサル世界選手権とブラジル代表 (2000年、グアテマラ)
| 出場チームと成績 | |
| 1位 2位 3位 4位 |
スペイン ブラジル ポルトガル ロシア |
| ベ ス ト 8 |
エジプト アルゼンチン クロアチア オランダ |
| 1 次 ラ ウ ン ド 敗 退 |
グアテマラ カザフスタン ウルグアイ タイ コスタリカ オーストラリア イラン キューバ |
優勝争いが激化し始めたのもこの頃なら強豪とそうでない国がはっきりと色分けされてきたのもこの頃だ。アフリカ勢としてはエジプトが初めてセカンドラウンドに進出し、その後の成長の片鱗を示した。準決勝には世界選手権の常連チームであるブラジル、スペイン、ロシア、ポルトガルが進んだ。当時のトップ4は現在でも世界のフットサル界を引っ張っている実力チームだ。
ブラジルは予選ファーストラウンドでカザフスタン(12対1)、ポルトガル(4対0)に快勝。開催国のグアテマラには29対2という歴史的ゴールラッシュで大勝した。セカンドラウンドではエジプト(12対4)、アルゼンチン(4対1)、ロシア(6対2)に順当勝ちを収め、準決勝に進出。ベスト4はブラジル対ポルトガル、スペイン対ロシアという豪華なカードとなった。
ここでスペインがロシアに苦戦を強いられ3対2で辛勝したのに対し、ブラジルはポルトガルに8対0で圧勝。しかし決勝ではスペインに思わぬしっぺ返しを食らい、4対3で勝利を逃した。これまでFIFUSA(国際サロンフットボール連盟)の大会を含めると、6大会中5大会で優勝してきたブラジル。FIFAの大会では苦い経験をしたのは今回が初だった。
優勝は逃しはしたものの最優秀選手にはブラジルからマノエル・トビアスが選ばれた。また、同大会から後にスーパースターになるファルカンがシュマイケル、レニージオ、フランクリンなどと共に代表に名を連ねた。
第5回 FIFA フットサル世界選手権とブラジル代表(2004年、台湾)
| 出場チームと成績 | |
| 1位 2位 3位 4位 |
スペイン イタリア ブラジル アルゼンチン |
| ベ ス ト 8 |
ポルトガル チェコ ウクライナ アメリカ |
| 1 次 ラ ウ ン ド 敗 退 |
チャイニーズ タイペイ エジプト オーストラリア タイ 日本 パラグアイ イラン キューバ |
しかしそんな大会でブラジルは過去最低の3位という成績を残してしまった。またしても宿敵スペインに優勝を譲ってしまったのだ。
ブラジルは予選ファーストラウンドでオーストラリア (10対0)、タイ(9対1)、チェコ(4対1)に勝利し、好調な滑り出しを見せた。セカンドラウンドでもウクライナ(6対0)、アルゼンチン(2対1)、アメリカ(8対5)を降し、優勝に向けて一直線に突き進んだかに見えた。しかし前大会に続き悪夢が舞い降りた。幸か不幸かスペインがセカンドラウンドを2位で上がってきたため、準決勝でブラジルは最大のライバルであるスペインと対決することになったのだ。試合は一進一退の攻防の末2対2の同点でPK戦へともつれ込んだが、運にも見放されたブラジルは5対4でこれを落としてしまった。
ブラジルが決勝戦に進出できなかったのは1982年にFIFUSA主催(国際サロンフットボール連盟)の世界選手権が始まって以来初めて。カナリア軍団がこのときほど悲しみのどん底に突き落とされたことはいまだかつてない。ちなみにもう一つの準決勝のカードはイタリア対アルゼンチン。これはイタリアが7対4で勝利。決勝ではスペインがイタリアを2対1で破り、世界選手権2連覇を果たした。 皮肉にも最優秀選手には優勝チームでも準優勝チームでもない3位のブラジルからファルカンが選ばれた。
第6回 FIFA フットサルワールドカップとブラジル代表(2008年、ブラジル)
今大会より、FIFAフットサル世界選手権(FIFA Futsal World Championship)からFIFAフットサルワールドカップ( FIFA
Futsal World Cup)へと名称が変更された。2008年9月30日から10月19日の期間で、ブラジルの首都ブラジリアと世界有数の観光地であるリオデジャネイロで開催される。出場チーム数は従来の16から過去最大の20チームに拡大、世界各地の予選を勝ち抜いた20カ国(ブラジル、イラン、タイ、日本、中国、リビア、エジプト、キューバ、グアテマラ、アメリカ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ソロモン諸島、イタリア、スペイン、ポルトガル、ロシア、チェコ、ウクライナ)が世界一を争う。開催国ブラジルは王座奪還なるか?!
